2017年5月、ある女性が開いた記者会見のことを覚えている方もいると思います。
ある、強姦被害に関する記者会見でしたが、その事件の当事者、伊藤詩織氏が書いた本「ブラックボックス」を読んだので、レビューします。
それに関連して、女性について思うこと、日本のことについて、ダラダラ書いている記事です。
この本を読んだきっかけ
先日、イギリスのテレビ局BBC Twoで、伊藤氏の事件に関するドキュメンタリーが放映されました。タイトルは「Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)」。
伊藤氏が巻き込まれた性暴行事件と、性犯罪に対する日本人と日本社会の態度、警察の調査方法や司法制度の問題点、世間の受け取り方にまで、広く日本の現状と問題点を描いた作品になっています。
ドキュメンタリーはお住いの国や地域によって、見られる場合と見られない場合がありますので、気になる人は英語タイトルで検索してみてください。BBCの公式サイトでは、このドキュメンタリーに関連した伊藤氏の英文記事を読むことができます。
ドキュメンタリーを見て、さらに英文記事も読んで、当事者である伊藤氏の著書を読みたくなったのがこの本を読んだきっかけです。私は日本国外に居住しているので、本はKindleで読みました。
「ブラックボックス」(伊藤詩織著)を読んだレビュー
この本の中には、事件が起こった当時の彼女の状態や、事件の詳細、事件後の彼女の葛藤とすべてを公にすると心に決めた経緯が描かれています。また、性犯罪に対する警察の態度と捜査方法、そして周りの人々の反応等も記されていました。
この本で浮き彫りにされた問題点を、私は以下の3つと解釈しました。
- 日本での性暴力被害者を受け入れる体制の脆弱さ
- 警察の捜査方法の問題点と司法での性犯罪成立の困難さ
- 日本には本当の意味でのジャーナリズムは存在しない
具体的にはいったいどういうことなのか、と思った方は、ぜひこの本を読んでみてください。Kindleで読むことも可能です。
日本はけっきょく男性社会である
そういうことなのだと思います。
それは、みんな薄々気づいているのだけれど、受験勉強の時にも「人権」とか「男女雇用均等」などを勉強するので、そんなものか、と思っているのかもしれません。
以前、バーで隣に座った男性が、こういっていたことがあります。
「日本にはね、人権なんてないよ」
かなり酔っ払っていたので、たまたま隣り合わせたその方と、ツッコんで人権問題を酒場で展開する気にはなりませんでした。でも、そういうことなのかもしれません。
女性軽視はアジア全体の問題でもある
思いついたことを徒然に書いているので、話が前後するかもしれません。女性を軽視する傾向は、日本だけにとどまらずアジア全体の問題でもあります。
私の主人は仕事柄、いろいろな国籍の人と知り合います。私も、彼のパートナーとして紹介されますが、アジア、それも特に中国やモンゴルなどの男性の中には、主人が私を紹介しても、「Hi」というだけで、私の名前を覚えようともしない人が多いような気がします。
これは、女性を男性の所有物、もしくはその一部として見ているのではないか、という気がしてなりません。私が中国語を話せるといっても、決して直接中国語で語ってはきません。特に、30代以上の男性にこういう反応が多いです。私のパートナーを差し置いて、その所有物=女性の私に直接話かけるのは失礼だと思っているのかもしれません。
これが、アジア以外の国の男性になると全然態度が違います。私の方に向かって直接的にどんどん話かけてきます。
アジアから北米に来て「モノ」から「人」になった私
女性に対する呼び方にしてもそうです。日本のように「○○の奥さん」とか「○○ちゃんのママ」という呼ばれ方は、こっち(北米)ではされたことがありません。一人の「人間」として、必ず名前で呼ばれます。こっちも、失礼になるので、相手の名前をきちんと覚えるクセがつきます。
誰かのパートナーであっても、女性であっても、友人やそのパートナーと会話するときには、意見を求められます。ビジネスの場でも同じです。日本のように、黙って笑っていればそれでいいというものではありません。
だから、日本人女性は、最初のうちはこの雰囲気に戸惑うのだと思います。
日本社会が日本人女性の尊厳を軽視している
性暴力の被害者の多くは「あなたにも落ち度がある」といわれるそうです。
また、「男性と二人で食事したり、お酒を飲むことが性交渉の同意だ」と考える人も多いようですね(だったら、私は何人の男性と性関係を持たなくてはいけないのか…)。
日本人女性の多くが、頻繁に痴漢やわいせつ行為の被害に遭っています。でも、大部分の女性は「そんなものだ」と思っています。でも、本当にそうでしょうか?
「私もそういう性的な行為で迷惑してきたし、みんな同じような経験はたくさんしている」「それを我慢するのも一人前の女性としてのスキル」という見方をする女性も少なくないようです。
伊藤氏が事件を公にしたときに、彼女に対して日本人の女性からもバッシングがあったのは、そういうことなのかもしれません。
でも、「私もこれまでそう扱われてきたんだから、あなたも少々のことは我慢しなさいよ」というのは、
私には、「女性器切除(FGM)」が一般的な社会で、母親が「自分もされたから」という理由で娘にFGMを強要するのと同じことのように思えてなりません。
日本に真のジャーナリズムはない
英文記事の中で、伊藤氏はこんな内容のことを書いています。
「もし日本に本当の意味でのジャーナリズムがあったら、私は自分が育った国を出ることもなかったし、オンラインであらゆる人からのバッシングを受けることもなかっただろう」
ちなみに上に相当する英文は、仮定法が使われていて勉強になるので、英語学習中の方は読んでみてください。
日本に真のジャーナリズムはない
私にとって、この言葉は聞きなれない言葉ではありません。
最初これを耳にしたのは、10年以上も昔、まだ日本に住んでいたころです。何かの書籍でこのような指摘を読んだ時、まだ日本国内に居た私は信じられませんでした。「言論の自由がある日本で、いったいどういうことなのだろう」と思ったものです。
でもそれが実感としてわいてきたのは、2011年の福島原発爆発の時。当時香港にいた私は、海外メディアへ流れてくる情報と、日本国内での情報のギャップを目の当たりにしました。もちろん、こういう報道規制はどの国にあっても起こるものですが。
日本のメディアは、スポンサーの影響が強いですしね。
警察と司法の歪み
派手なプロバガンダが得意なのは中国や北朝鮮、スパイ活動で忙しいのはイギリスとロシア、プライバシーそっちのけで国民の電子メールをチェックしているのはアメリカ政府。こういう話、日本は関係ないと思っていませんか?
日本人は、盲目的に政府やオーソリティを信頼してしまうところがあります。相手を信じる日本人の気質は、私も好きなところですが、何事も、ほどほどが肝心かもしれません。
伊藤氏が訴えたY氏には、いったん逮捕状が出ました。しかし、成田空港に降り立った彼を逮捕する予定だった直前、警察トップからの指示で急遽逮捕が取りやめになります。この時のことを指して、元読売新聞犯罪ジャーナリストは、ドキュメンタリーの中でこのようなことを言っていました。
「もし、彼(Y氏)が総理大臣の友人でなかったら、彼は逮捕状を手にした捜査官の前を悠々と歩き去ることができただろうか?」
…興味を持たれた方は、ぜひ「ブラックボックス」をお読みください。海外に住み始めて、日本の本を買わなくなった私が、初めてKindleを利用して購入した本です。読んでよかったと思っています。