お茶の間で読む英語と旅行の話

主に、英語学習と海外旅行の話

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私たちはなぜ旅を続けるのか

インターネットで世界中の名所名跡の画像や動画が閲覧できる現在、なぜわざわざ時間とお金を使って旅に出るのか、という質問は、私にとって、「翻訳ツールがこれだけ発達している今、なぜわざわざ英語を勉強しなくてはならないのか」という質問と同じくらい、愚問である。

 

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月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり。

ー松尾芭蕉「奥の細道」よりー


国語の授業で「奥の細道」を読んだのは、中学生の時だったかと思う。「百代の過客」「旅人」そして、後に登場する「漂泊」という言葉に、私の小さな胸がどきどきしたのを今も覚えている。そのときの私の瞳はキラキラしていたと思う。

時の流れはよく川にたとえられるけど、漂泊してやまない私たち旅人もやはり川の流れのようなものである。一処にとどまっておくことができない。

 

幼いころ、祖父が12冊セットの子供用百科事典を買ってくれた。私はその中でも決まったページが大好きで、いつも眺めていたものだ。それは、地殻や地震に関するページと、人種のページだった。

 

世界には、モンゴロイド、ネグロイド、コーカソイドという人種がいて、たくさんの民族が異なる生活様式で暮らしている。あるものは氷で作った家に住み、またある部族は高床式の木やわらでできた家に住む。そしてヨーロッパでは、石で作られた家に住む人もいる。

自分の家とはまったく違う家に住み、違う生活を送る人がこの世界にたくさんいるなんて、と、そのページはいつ見ても飽きることがなかった。

 

ネットがこれだけ普及して、多くの人がさまざまな画像や動画をアップロードできる今、万里の長城も、タージマハールも、エッフェル塔も、簡単に画像を閲覧できるし、旅行者の動画を見ることもできる。

 

しかし、プラスチックバッグがまだ普及していないキューバの片田舎で買った焼きたてのパンを手のひらに載せてもらったときの温かさや香ばしい香り、乗客がみな周りかまわず携帯電話でしゃべり散らかす香港メトロの騒々しさとうっとうしさ、反対に人気がなく風の音しか聞こえない砂漠の静けさと顔にかかる熱風、中国大都市にある高級ホテルのすぐ横の路地裏の悪臭、…といったものは、現地でないと体験できないことである。

 

そして、なによりも私たちを旅に駆り立てるのは、現地の人との出会いなのではないかと。旅先で私たちは無意識であったとしても、笑顔を交換している。

旅人は一処に留まることができない。ちょうど川の流れのように。そして、出会いと別れがあって、私たちは「過客(=過ぎ行く人)」になる。

 

「いろいろありがとう」
「気を付けて」
「じゃあ、またね!」
「良い旅を!」
「よい一日を!」

と、笑顔を交換する。

 

その笑顔はどんなにネットを検索しても出てこない。その笑顔は私たちに向けられたものだから。

 

私も旅に出ると写真を撮るし動画も撮る。自分のブログやYouTubeにアップする。でも、旅の本当の魅力は、撮影できない処にあるのだと思う。それは、シャッターを押すのがもったいないような、その場所でその人と共有するだけの大切な時間のカケラなのかもしれない。

だから、私たちはまた旅に出るし、今日また、次の旅の計画を練る。

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